最高裁判所第一小法廷 昭和50年(あ)1621号 判決 1976年5月06日
主文
原判決を破棄する。
本件を仙台高等裁判所に差し戻す。
理由
(上告趣意に対する判断)
弁護人柴田久雄の上告趣意は、単なる法令違反、事実誤認の主張であつて、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。
(職権による判断)
しかしながら、所論にかんがみ職権により調査すると、原判決は、次の理由により破棄を免れない。
一まず、原判決が是認する第一審判決の認定した犯罪事実の要旨は、以下のとおりである。
被告人は、秋田市役所本庁(以下、単に本庁という。)の市民課調査係長であつたが、自宅の新築資金を借り入れるために印鑑証明書が必要になつたことから、自らこれを作成して使用しようと考え、(一) 昭和四七年九月一日、同課の事務室において、備付けの印鑑証明書用紙に、伊藤千鶴子の氏名、生年月日、住所を記入し、同女の印鑑を押捺したうえ、作成年月日をゴム印で押捺し、さらに作成名義人である秋田市長荻原麟次郎の名下に戸籍住民基本台帳専用秋田市長之印と刻した市長公印を押捺して、秋田市長作成名義の伊藤千鶴子宛印鑑証明書一通を偽造したほか、これと同じ場所、方法で、同日及び同年一一月一日、被告人宛印鑑証明書各一通を、同月一三日、鈴木銀次宛印鑑証明書一通をそれぞれ偽造し、(二) 同月一日、右と同じ場所において、あらかじめ田村英夫にその氏名、生年月日、住所を記入して印鑑を押捺してもらつた印鑑証明書用紙を用い、これに作成年月日をゴム印で押捺したうえ、右秋田市長の公印を押捺して、秋田市長作成名義の田村英夫宛印鑑証明書一通を偽造したほか、これと同じ場所、方法で、同月二日、佐藤仁宛印鑑証明書一通を偽造し、(三) これらの印鑑証明書を行使した。
二原判決及びその是認する第一審判決が認定した関係事実は、以下のとおりである。
(一) 秋田市役所における印鑑簿の保管及び印鑑証明書の作成発行の事務は、本庁に住民登録をしている市民については、本庁が取り扱い、太平地区に居住する市民については、太平出張所が取り扱つていた。
(二) 前記の六通の印鑑証明書のうち、鈴木銀次宛のものは、右太平出張所において作成発行すべきものであり、本庁においては作成発行することができないものであつた。
(三) 被告人は、伊藤千鶴子及び鈴木銀次からも、印鑑証明書の交付を受けることにつき承諾を得ていた。
(四) 印鑑証明書は、秋田市長名義で作成発行されるものであるが、本庁におけるその作成発行は、秋田市事務決裁規程により、市民課長の専決事項とされていた。
(五) 本庁における印鑑証明書の作成発行手続は、次の(1)ないし(6)のとおりであつたが、(1)ないし(4)の手続は、同一の職員がこれを取り扱うこともあつた。
(1) 申請者が、市民課市民係に備え付けてある申請書用紙及び印鑑証明書用紙の所定欄に記載及び押印をして、受付に提出する。
(2) 受付係が、記載事項を点検して、これらの書類を照合係に回付する。
(3) 照合係が、印鑑証明書用紙に押捺された印影と市民課保管の印鑑簿の印影とを照合し同一と認めると、その用紙に作成年月日と秋田市長名のゴム印を押捺して、これを認証係に回付する。
(4) 認証係が、申請書用紙と印鑑証明書用紙の記載内容を再確認したうえ、市長名下に市長公印を押捺して、これを交付係に回付する。
(5) 交付係が、手数料と引換えに、申請者に印鑑証明書を交付する。
(6) 申請書は、一日分を一括し、翌朝、市民課長又はその代理者がこれを決裁する。
(六) 本庁における印鑑証明書の作成発行の事務は、市民課の市民係が分掌していたが、慣行上、一般的には、被告人を含む市民課員全員がその事務をとる権限を有していた。
(七) 被告人は、前記の各印鑑証明書を、申請書を提出せずに自ら作成し、手数料を納付せずにこれを取得したものであり、申請書が提出されていないことの結果として、これに基づく市民課長又はその代理者の決裁も行われていない。
(八) 鈴木銀次宛印鑑証明書に押捺された印影は、太平出張所に保管されている印鑑簿の同人の印影と同一であり、その余の五通の印鑑証明書に押捺された各印影も、本庁に保管されている印鑑簿の各印影と同一であつて、正規の手続によるときは、当然に印鑑証明書が交付されるはずのものであつた。
三第一審判決は、鈴木銀次宛印鑑証明書については、本庁において作成することができないものであるから、被告人がこれを作成したことが公文書偽造罪にあたるのはもちろんであり、また、その余の五通の印鑑証明書についても、市民課の市民係に属しない被告人によつて、単に正規の手続を省略するという恣意から作成されたものであつて、本来の権限をもつ者の承諾があるか又は承諾が当然に予想されるような状況のもとで、正規の手続により作成されたものではない、との事実を認定し、そうである以上被告人の右の行為は印鑑証明書作成事務の正当な分担援助による作成ということはできないので、公文書偽造罪の成立は免れない、と判示した。原判決は、右五通の印鑑証明書につき、前記の事実認定のとおり、慣行上、一般的には、被告人を含む市民課員全員に、印鑑証明書の作成事務をとる権限があつたが、被告人は、申請手続をはじめ正規の手続を履践せず、かつ、専ら自分の住宅新築資金を得るために、自分の立場を利用してこれを作成したものであつて、権限の濫用というべきであるから、公文書偽造罪の成立は免れない、と判示した。
四問題は、被告人に本件の各印鑑証明書を作成する権限があつたかどうかに帰着するが、鈴木銀次宛印鑑証明書については、右の権限のなかつたことが明らかであるから、その余の五通の印鑑証明書について、これを検討することとする。
(一) 公文書偽造罪における偽造とは、公文書の作成名義人以外の者が、権限なしに、その名義を用いて公文書を作成することを意味する。そして、右の作成権限は、作成名義人の決裁を待たずに自らの判断で公文書を作成することが一般的に許されている代決者ばかりでなく、一定の手続を経由するなどの特定の条件のもとにおいて公文書を作成することが許されている補助者も、その内容の正確性を確保することなど、その者への授権を基礎づける一定の基本的な条件に従う限度において、これを有しているものということができる。
(二) これを本件についてみると、本庁における印鑑証明書の作成は、市民課長の専決事項とされていたのであるから、同人が、作成名義人である秋田市長の代決者として、印鑑証明書を作成する一般的な権限を有していたことはいうまでもないが、そのほか被告人を含む市民課員も、市民課長の補助者の立場で、一定の条件のもとにおいて、これを作成する権限を有していたことは、これに対する市民課長の決裁が印鑑証明書の交付された翌日に行われる事後決裁であつたことから、明らかにこれを認めることができる。そして、問題となる五通の印鑑証明書は、いずれも内容が正確であつて、通常の申請手続を経由すれば、当然に交付されるものであつたのであるから、被告人がこれを作成したことをもつて、補助者としての作成権限を超えた行為であるということはできない。確かに、被告人が、申請書を提出せず、手数料の納付もせずに、これを作成取得した点に、手続の違反があるが、申請書の提出は、主として印鑑証明書の内容の正確性を担保するために要求されているものと解されるので、その正確性に問題のない本件においてこれを重視するのは相当でなく、また、手数料の納付も、市の収入を確保するためのものであつて、被告人の作成権限を制約する基本的な条件とみるのは妥当でない。してみれば、被告人は、作成権限に基づいて、本件の五通の印鑑証明書を作成したものというべきであるから、正規の手続によらないで作成した点において権限の濫用があるとしても、そのことを理由に内部規律違反の責任を問われることはかくべつ、公文書偽造罪をもつて問擬されるべきではないと解するのが相当である。原判決は、その認定事実を前提とする限り、法令に違反しており、これを破棄しなければ著しく正義に反するものといわなければならない。
(結論)
よつて、刑訴法四一一条一号、四一三条本文により、原判決を全部破棄し、本件を原裁判所に差し戻すこととし、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(岸上康夫 藤林益三 下田武三 岸盛一 団藤重光)
弁護人柴田久雄の上告趣意<省略>